その変化を誰もが息を呑んでいた。
吸血衝動にもがくアルクェイド・シオンすら呆然と見ていた。
志貴の瞳は蒼から銀・・・そして虹の如く多色に偏光する名状し難い変貌を遂げていた。
それと同時に志貴の放つ空気すら一変した。
その威風は人間でなく・・・まるで月の王・・・
そして志貴は手にしたナイフを躊躇い無くアルクェイドの腹部に差し込む。
無論血も出なければ痛みも無い。
これで真祖の姫君アルクェイド・ブリュンスタッドは死んだ筈だった。
しかし・・・
「あ・・・れ??なんで・・・なんで私生きているの??」
信じられないものを見るように自分の手を見るアルクェイド。
それだけではない。
あれほどの吸血衝動が嘘の様に静まり返ってしまっている。
「ね、ねえ・・・志貴・・・どうして?どうして・・・私生きているの?」
その独白を志貴は敢えて無視し今度はシオンの前に立つ。
「し、志貴・・・」
シオンも呆然とその姿を見る。
いままで吸血衝動に襲われていたのが嘘の様だ。
志貴のあの瞳で見られると恐怖と言うよりも畏怖を覚える。
まるで神の御前に立つように・・・
「シオン・・・少し動かないでくれ。直ぐ終わる」
そう言うと志貴は素早くナイフを素早く走らせ突いて行く。
しかしそれは軽く当てるだけのもの、無論痛くも無ければ傷もつく筈も無い。
しかし、何故だろうか??突かれる度に重さから解放されるのは・・・
それが終わったときシオンの身体は完全に軽くなっていた。
「これは・・・志貴あなたはいったい何を・・・」
その質問にも答えず志貴は七夜紫影と向かい合った。
俺が全てを終わらせ紫影と対峙する。
「・・・嬉しいよ・・・七夜志貴・・・君はついに到達したんだね・・・僕らの望んでいた至高の領域に」
紫影は満面の笑みで俺に話し掛ける。
「ああ・・・」
俺は何の感慨も無く『古夜』を逆手に構える。
「そして判ったよ。なぜお前達が躍起になって俺を殺す・・・いや、俺の力の発現を促そうとしたその理由も・・・」
「ふふ・・・でもそんな事はもう良いじゃないか?君は至高の領域に到達し、僕達はやっと全てを全うした・・・後は最後の道化(ピエロ)が退場すればいい・・・だけど道化は道化らしく最後までみっともなく足掻かせてもらうよ」
そう言うと、街を覆っていた瘴気が紫影の頭上に集まる。
「さあ、出てきて。僕の象徴・・・」
その言葉を合図として瘴気が一つの形を作りその姿を現す。
それはサーカスに良く出るピエロの姿格好をした・・・骸骨だった。
「これが僕の象徴、"全てを傀儡たらしめる道化師"だよ」
その言葉と共に道化はいずこも無く取り出したジャグジーを手短にある柱や天井にぶつける。
その途端柱の一部が崩れ・・・いや、剥がれ落ち独りでに槍の様に先端が鋭利となる。
天井の壁も剥がれ落ち、チェーンソーの様にギザギザとなり、猛烈な勢いで回転を始める。
「さあ、行くよ」
紫影の号令と共に槍と刃が俺に襲い掛かる。
「紫影・・・馬鹿にしているのか??こんなもので俺を殺せるとでも??」
それを俺は逆に消し尽くす。
『古夜』が振るわれる度に槍も・・・刃も・・・全てが消え失せる。
消しゴムで鉛筆の文字が消されるように・・・修正液で真っ白に塗り潰される様に・・・
だがそれを見ても紫影は眉一つたりとも動かさない。
この様な事は予想の範囲内なのだろう。
「まさか・・・もう神の領域に到達した君にこんな程度で倒せるなんて思ってもいないよ・・・本命はもう準備されているよ」
「??」
その時『シュライン』が微かに揺れはじめる。
「なんだ??」
(志貴!!やばい!!この象徴は操るんじゃない!!支配するんだ!!人でも物でも何でも!!)
つまり・・・まさか・・・
「紫影!!お前このビルを・・・」
「その通り、道化はこれに『死ね』と命令を下したよ」
その言葉と同時に『シュライン』が大きくゆれて傾いた。
「今一番下の柱がまとめて死んだ」
楽しそうに紫影は言う。
(まずい・・・全ての柱にひびが走っている・・・この分だとあと五分でこのビルは倒壊する)
五分・・・とてもではないが安全圏まで逃げ延びるのに間に合わない。
それでも全員に早く逃げてもらわないと!!
「皆!!早く・・・!!」
しかし全員その場を動かない。
いや動けない。
あの道化の支配を受けたのか全員、手も足も鉛の様になって動かない。
「し、志貴逃げて・・・」
冗談ではない。
ここで全員を見捨てられる訳が無い!!
だが、このままでは全員崩壊する『シュライン』と心中する。
「くそっ・・・」
何時の間にか紫影も姿を消している。
揺れはいよいよ激しくなってきた。
このままでは・・・
俺の迷いを嘲笑うかのように『シュライン』は轟音を立てて崩壊を始めた。
『シュライン』の崩壊する様を七夜紫影は先ほどとはうって変わった無表情で眺めていた。
それは何かを待ち焦がれるように。
屋上も崩れビルが破壊し、盛大な煙と残骸が煙を吹き上げる。
そこには生命などある筈が無かった。
しかし、その中心部にあるはずの無いものが現れた。
真紅の靄の様なもの・・・それは円形となり一つの空間を形作っていた。
そして・・・その空間の中には・・・七夜志貴達がいた。
完全な無傷で・・・
時を戻そう。
もはや、『シュライン』の崩壊は間近と言う時それは起こった。
志貴の手に握られたそれが大きく震えた。
それは目覚めであるかのように、振るうべき時は今であると告げるかのように・・・
志貴は静かにそれを・・・『凶神』を抜く。
自然に手に吸い付いてくる。
刀の力すらもごく当然の様に頭に注ぎ込まれる。
当然であろう。
これはただの刀で無いから。
志貴が常に生死の間で共に闘い、そして生き延びて来た、今までの戦友・・・二振りの小太刀と一本の短刀の魂・・・そして、同じ魂を分け合った一振りの太刀の魂・・・
その全てを受け継ぎ生まれ変った新しき志貴の戦友なのだから。
それが引き抜かれた瞬間、刀身から真紅の陽炎が噴き出す。
志貴は思い浮かべる。
使用方法は以前と同じ、何の不安も無い。
ここにいる全員を無傷で守りきる事の出来る強大な結界を思い浮かべる。
それと同時に結界は生まれる。
かつて神話の時代に太陽の神が嘆きのあまり閉じ篭った洞窟を封印した岩戸『天岩戸(あまのいわと)』が・・・
『天岩戸』に問題は一切無い。
俺達のいた空間は岩戸によって完全に防御され、全員無傷で倒れていた。
気を失っているだけだ、何の問題も無い。
俺は静かに思念する。
その途端、俺の全身を真紅の妖気が覆い、妖気が浮力となって俺は宙に浮く。
そして上空で佇む紫影と視線をあわせた。
「やっと・・・全て鍵がそろった・・・」
心の底から嬉しそうに紫影が言う。
「ああ、お前達のお望み通りになったぞ」
「嬉しいよ・・・僕達はこの為に神から命を与えられてきたんだ・・・でも・・・それもやっと終わる・・・さてこう言う時は・・・みっともなく道化は足掻かないといけないから・・・足掻くね」
そう言うと紫影の象徴が支配するジャグラーを投げ付ける。
だがそれを俺は八つ首の大蛇を具現化、ジャグラーを消し飛ばすと同時に紫影諸共象徴を吹き飛ばす。
「くっ!!道化師!!」
紫影の号令とともに道化師は再びジャグラーを辺りに投げ付ける。
そのジャグラーに命中し意思と命を支配されたあらゆるものが俺に殺到する。
しかし、そんなものは無駄な足掻き以上の何者でもない。
『古夜』を構え片っ端から存在を消去され、『凶神』から具現化された雷雲が俺の周囲を覆い雷雲から放電される雷が近寄る物全てを打ち砕く。
「ならば!!」
「遅い・・・」
紫影の声よりも早く俺は『凶神』に新たな思念を注ぎ込んだ。
竜帝以上の存在・・・竜神を・・・
その瞬間竜帝の三倍の大きさを誇る竜が具現化され、道化師の上半身を吹き飛ばし月の瞬く空に消えていく。
「が、がは・・・」
紫影がよろめいた瞬間、俺は一気に詰め寄り腹部に存在する紫影の存在を示す点を貫いた。
「ふ・・・ふふふ・・・これで良いんだよ・・・」
「紫影・・・お前は・・・いやお前達は本当に満足なのか??お前達は・・・」
「人形だって事は皆とっくに気付いているよ・・・でもね・・・『神』は僕達に存在の意味をくれた・・・僕達に後悔は何も無いよ・・・だって『神』がいなければ僕達は当の昔に消え去っていたんだから・・・さてと・・・僕も行こう・・・『神』の元に・・・そして父上やお爺様と同じ場所に・・・」
その言葉を残し紫影はその姿を消した。
「・・・・・・」
俺は暫し空中で佇んでいた。
遂に六つの遺産を全て滅ぼし、六つの『凶夜』の魂を解放したにも拘らず、胸に残るもやもやは消える事は無かった。
当然であろう・・・
これは『前奏曲』に過ぎないのだから・・・
それを俺は・・・誰よりも良くわかっていた。
そして俺の中にいる鳳明さんもまた・・・
俺は『凶神』の力でアルクェイド達全員をまとめて空中に浮遊させ、屋敷に帰還した。
そして全員をそれぞれの自室に運んでから自室に戻る。
「・・・」
「・・・」
互いに無言を通す。
しかし、その沈黙を打ち破るように鳳明さんが口火を切る。
「・・・志貴」
「はい・・・」
「お前もわかっているだろうが・・・」
「ええ、もう時間は無いですね」
「ああ、まさか『凶夜の遺産』にあのような裏があったのか・・・」
「ええ・・・恐れ入ります」
それだけ言うと俺達は口を噤む。
「・・・おそらく今頃は全ての『凶夜』の怨念が溢れあそこには入れないでしょう」
「ああ、そして六封は砕け『神』は解き放たれる・・・」
「その時こそが俺の・・・いや、七夜としての最後の戦い・・・」
「志貴・・・少し眠れ。おそらく、一週間から十日は確実に足を踏み入れる事は出来ん」
「そうですね・・・それまで体を休ませましょう・・・その間にやらなくてはならない事は沢山あるのですから」
そう言うと、俺は静かにベットに倒れこみ、そして深い眠りに落ちていった。
後書き
都市の章ないし、長かった四話はこれで終了しました。
遺産全て滅ぼしましたが戦いは終わっていません。
むしろこれからが本番です。
そう言った意味では六つの遺産との戦いはまさしく『前哨戦』・『前奏曲』となります。
次回からは五話、ここでは最終決戦前夜までと事の真相を『路空会合』の形式、現在と過去の出来事を交錯させて展開させます。